企画意図論 追補 その3
今日は、企画意図論の追補のその3。
昨日の話から生まれた気付きについて。
昨日の話をまとめておくと・・・。
一見「独立性がある」宣伝会議賞の作品も、
「文脈上の意味」の理解には「+α」が必要。
で、この話に関連して気付いたことが・・・。
私の記憶が正しければ、なのですが、
宣伝会議賞の複数の常連さんのブログ等で、
グランプリは身近な課題から出やすい、
それは審査員が理解しやすいからだ、
みたいな考え方を読んだ気がします。
実は、私は当初、それは違うと思っていました。
たしかに、過去の受賞作にはそういう傾向がある。
でも、それは応募者側の選好バイアスの影響では?
本当はむしろ、まだなじみのない課題の方が、
新鮮なコピーを書ける余地が大きいのでは?
オリエン発表号の最終審査員座談会の記事の、
磯島さんのこの発言と似たような考え方で。
「世の中にとって新しい企業のほうが、
大きな枠組みのコピーを書くチャンス」
が、昨日の「+α」の話と合わせて考えると・・・。
身近な課題なら、必要な「+α」が小さい。
あるいは、半自動的に働いてくれる「+α」が大きい。
だから、一見「独立性がある」コピーが書きやすい。
そうでない課題は、必要な「+α」が大きい。
あるいは、半自動的に働いてくれる「+α」が小さい。
だから、コピー単独では評価しにくいものになりがち。
そういう意味では、常連さんが考えている通り、
グランプリは身近な課題から出やすいのかも。
でも・・・
それでいいのか?
キャッチフレーズが果たせる役割には、
「容量」があると思うんですよ。
解決しようとしている課題によっては、
ボディーやビジュアルの役割も大きくなる。
それでも、広告全体をリードしている限り、
キャッチフレーズが劣っているわけじゃない。
その、「広告全体をリードとしているか」も、
企画意図を踏まえて評価すべきじゃないかな?
それに、課題が身近かどうかの差だけでなく、
広告的アプローチが新しければ新しいほど、
理解に必要な「+α」が大きくなり、
半自動的に働いてくれる「+α」は小さくなる。
その「+α」は、キャッチフレーズの役割じゃない。
ここまで考えてみると・・・
「新しい広告が見たい」みたいなことを言いつつ、
企画意図を必要としない「独立性」を求めるのは、
実はかなり矛盾気味なんじゃないか?
まだ開拓の余地が大きい課題の作品や、
新しい広告的アプローチを含む作品を、
不当に低く評価する結果になっていないか?
これが、宣伝会議賞の作品をつまらなくしている一因かも。
結論に同意してくれるかはともかく、
いったい何を論じているのか、
分かってくれた人がいるでしょうか?
では、宣伝会議賞に、あの名コピーが出品されたら?
「おいしい生活。」は、作品だけでは評価されにくそう。
企画意図で狙いを確認して初めて真価が分かる、みたいな。
「好きだから、あげる。」は、作品だけで分かるかも。
ただこれも、消費者意識をどう捉えているかを、
企画意図に書いて確認した方がよさそう。
ふう。
締め切りが迫ってきているというのに、
こんなことを長々と考えたり書いたり、
やはり、作るより批評する方に向いているようで。
でも・・・。
「量より質」派で、かつ暇な、私みたいな応募者が、
忙しい人は誰も気にも留めないようなことを考えることで、
宣伝会議賞が袋小路を抜け出せる可能性だって・・・。
明日は、文化のラジオの応募完了報告。
では。