宣伝会議賞との出会い その2
で、10月中旬、宣伝会議賞に初挑戦することに。
が、できると思っていた課題でいいものが出ない。
仕方なくいろいろと課題をさまよううちに、
いくつかなんとかコピーらしきものが。
すると、他の課題もできるんじゃないか、という気に。
いつしか、10課題、20課題と作品は増えていった。
この頃にはもう完全に宣伝会議賞モード。
頭が勝手に働き続け、仕事は手につかず。
半日以上ぶっつづけで考えていたことも。
いつの間にか30課題、40課題・・・
途中でCM案ならできそうな課題もあることに気付く。
さらに、自分の作品同士でランキングを付けてみる。
すると、下の方の作品はもうちょいなんとかならんのか、と。
そうするうちに、質・量ともに毎日自己ベストを更新。
そして応募最終日、最後まで苦しんだ課題にも光が。
未入力だった作品をなんとか入力していき、
最後の入力を終えたときは残り1分を切っていた。
各課題1本ずつの計41本、まさかの全課題応募。
頭は楽しくて回り続けていたけれど、さすがに体は疲れ切っていた。
でも、人生の中であれほど真剣に「遊んだ」ことはなかった。
応募期間終了後に応募作を見直して、ふと気付く。
なんだか、すごいことになってきた。
グランプリ、いける。
っていうか、ファイナリスト5本はかたいでしょ。
私は、こう思って震えました。
「しゃ れ に な ら な い」
いや、こんなことすら思っていました。
「グランプリだけでもすごい宣伝会議賞、
主要四賞独占ならどうなっちゃうんだろう。」
(これの元ネタが分かる人はかなりのマニア)
私の宣伝会議賞熱は、高まるばかりだったのです。
(続く)