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企画意図論 まとめ

今日は、企画意図論のまとめ
と言いつつ、まとまらなさそう・・・

まず、企画意図を書く必要のない作品も、
たしかにある、というか、多そう
でも、すべての作品がそうとは限らない

 

そもそも、審査員はターゲットの代表じゃない
消費者感覚を想像することに秀でているとしても、
短時間でなんでもパッとわかるわけじゃないと思う。

また、経験のあるプロだからこそ、
既存のアプローチに沿って評価しがちで、
新しいアプローチが評価されにくいのかも。
短い時間で審査する状況では特にそう。
「狙い」を「企画意図」で説明して、
それが達成されるかを審査する
作品によってはそれは必要なはず。

 

さらに、「広告のひとつのパーツ」として考えると、
他の要素や戦略も含めた「企画」としてどうか
想像を膨らませて評価してもいいんじゃないか。
ただし、キャッチフレーズの賞である以上、
キャッチフレーズが企画をリードしてないと。

独立性を重視してつまらなくなるくらいなら
(実際つまらなくなっていると思う)、
作品はキャッチフレーズの役割に絞って、
「膨らませ方」を企画意図に書く方が、
ずっとおもしろくなるかもしれない。

 

すでに効果が飽和したアプローチで何本も作るより、
そもそもどういうアプローチが有効なのか
そこを考えることが重視されるべきじゃないのかな。

 

・・・とまあ、こんなところなのですが、
この「企画意図論」シリーズを読んでいて、
決定的(?)な矛盾に気付いた読者もいるかも。

それは・・・

 

企画意図の重要性をこれだけ説いておきながら、
SKATには企画意図は掲載されていないのに、
SKAT掲載作品の多くを否定してもいいのか?

 

これは、我ながら妥当なツッコミだと思います。
ただ、私が否定している作品の多くは、
悪い意味で企画意図を読むまでもなさそう。

例えば、私が大嫌いな「姉ちゃんコピー」には、
架空の姉ちゃんの架空の嘘くさい自慢話をすれば、
消費者の気を引けるんじゃないか、という、
あさはかな意図以上の狙いはないですよね。

 

とはいえ・・・

例外を見つけるのも宣伝会議賞の大きな役割
と言っているからには、やはり本来は、
企画意図を読んで評価するべきなんじゃないか。
たしかに、そういう疑問は残ります・・・。

 

ただ、私がどう考えるかはともかく、
審査にどう活かされるかという観点からは、
一次審査員が担当する膨大な本数を考えると、
企画意図をすべてじっくり読み込むのは非現実的
だからこそ、企画意図は任意入力ということにして、
本当に必要な事だけを書く、ってことにしてほしい

 

というわけで、結局元に戻ってしまうのですが、
私が考える「企画意図」のあるべき姿は・・・

 

いつ途中で打ち切られるか分からないプレゼン。

 

明日は、文化のラジオの進捗状況。
では。